夢が叶えば幸せか

 普段生活していて、会う人会う人の内面を想像することが多いのだけれど、それはどこまでいっても想像に過ぎなくて「自分だったらどう思うか」「”こう思う”と言っている人もいたな」の二つから察することしかできません。色んな人の言うことやることを見聞きして、予測の精度を上げることはできますが、答え合わせのしようもないことなので完全に他人の気持ちを推し量るのは不可能でしょう。

 ひでんマシンばかり覚えさせられているポケモンの気持ちを一度だって考えたことありますか?

 今日は、20年前に世話になったポケモンの気持ちを考えていたけれど、アレは想像上に彼の人間性(カニだが)をつくりあげてその場合どういう独白を心に浮かべるんだろうなということにしかすぎず、僕の一部から生まれた僕ではない何かの言葉です。

 だから、ここからの話はカニと同じく僕の想像上のぼくりりくんやバンドをしている人たちの言です。

 カニは、花形の戦闘要員としてバリバリ活躍する未来を夢見ていたみたいですけれど、現実にはひでんワザで技欄を3枠埋められてパーティの一番後ろで探索要因として駆り出されており、そんな現状に折り合いがつかない様子でした。今思えばたまには戦闘とかもさせてあげればよかった。

 でもこんなことって、本当にどこにでもある話なんです。プロ野球の審判とか、スタッフとか、ファンとかきっとみんなプレーヤーに憧れて一度は志した人なんでしょうし、バンド業界なんかフロントマン一人、メンバー四人に対して、現場で働くスタッフの数は五倍では利かないことでしょう。

 ぼくりりくんはインタビューで自分の現状について

「打ってもいないパチンコから玉が滝のように出てきた」

 と言っていました。これが繕いのない本音なら、人から見たら成功地点にいる彼だって「やりたいこと=できること」ではない人間の一人でしょう。

 でも、望んだ役職でなくとも、それをできるという現状に差しあたってできることがやりたいことに変化することはあります。少なくとも彼は今の立ち位置でいられることにとても誇らしげでした。

 思えば人間の夢とかやりたいことなんか、全部手持ちのカードからはじき出された打算でしかないと思うんです。

 誰かが野球選手を夢見るのも、たまたま少年野球をやっていて自分にできる一番のことが野球だっただけでしょうし、僕が未だに音楽が好きなのも、たまたま父の部屋にギターがあったからなんでしょう。勇気のある人以外は、自分に色がないことが怖いのです。やりたいことがない、好きなものがない、アイデンティティ、色。からっぽなのを認めてしまうのが怖くて自分に色を付けて何かを詰め込むんでしょう。見方によっては、自分ががらんどうであることを認めてしまうのが大人だとも言えます。ただ、大人だと自称他称受けたところで空洞は空洞です。

 これもただの勝手な想像ですが、歴の長いミュージシャンが言う「歌いたいことがある」なんて、全部大嘘なんじゃないでしょうか。人が喜んでくれることで得られる充実感とか、やめたらなにも残らないという強迫観念がマイクやギターを握らせてるのであって本当は音楽に飽き飽きしたりもすると思うんです。人間だから。いや逆に「やっぱり音楽っていいなー」って思いなおすことも同じくらいあるんでしょうけどね。

 だからみんな音楽以外のこともやってみたりするんでしょう。そのくらい、夢なんていうのは形がなくってグニャグニャしたものです。少なくとも僕にとっては。

 なので、望んだものと違う現状とか、叶わなかった夢なんかにいつまでも負い目を感じることなんかないんでしょう。

 

行き先も実は既に ずっと前から失くしてたんだ。着いた場所、着いた場所で ここが目的地だ、って言い張るんだ。

-雑記

1991年8月4日生まれ。獅子座のO型。