ブスの肖像

 詳らかにしたり、あえて言わない方が良いこと、目を背けるべきことが世の中にはあり、言葉にして体系化してしまうことで多くの人を不幸にするものがある。言わぬが花という言葉もある。

 

 ところでブス、ブサイクは、明らかな欠点だ。

 こんなことを言うと大ヒンシュクを買う。「醜美の感性は人それぞれだ」とか「じゃあブスはどうしたら良いんだ」とか「それは残酷すぎる」とか、言われるが、どれもブスが欠点だという事実を否定する内容になりえない。

 ここで言う「欠点」というのは「弱点」という意味に近い。人間が持ち合わせる個性の中で特に、損をするような個性を欠点・弱点と呼ぶ。

 そしてここで言う「ブス」というのは個人が判断する外見の好みではなく、その人が暮らす世界で人々が判断する外見の平均点数が低い状態を呼ぶ。なので

「平安時代だったら美人扱いだよ」

 とか

「火星人が見たらかわいいと言うかもしれない」

 とか言う人がいるが、俺たちが暮らすのは、現代の、日本だ。交友関係を結ぶ相手や恋愛対象も、2018年の日本人が相手であることが大半だ。なので、そういう交際相手にマイナスな印象を与えることが多い個性は生活をする上での弱点だと言える。見てくれが良いに越したことはない。

 

 なぜこんな酷いことを言わなきゃならないか。

 これです。本丸は。

 見た瞬間ストレスになったんですよね。自律神経が壊れました。

 右脳が直感したこの不快の正体を、暫く考えてみたのだけれど「ブスだから」なんていう単純な話じゃないらしい。どうやら。

 見た目が良くないことに関して自分はどちらかというと寛容だとすら思う。彼女の寝顔が水死体のようでも、全然大丈夫。ブスっていうだけでバチボコ叩くインターネットの風潮には「酷いなあ」と思うほどだ。

 繰り返すが、勘違いしないで欲しい、俺が嫌悪するのはブサイクである状態じゃない。そりゃかわいいほうが好きだけど、激しい拷問の末に世を憎んで死んだみたいな寝顔をしていても、大丈夫。別に。大丈夫だよ。

 この嫌悪感の正体は

「コンプレックスをアートに昇華しちゃう、ハイセンスなアタシ」

 という押しつけがましい見せ方と

「これを”ブスだ”の一言で終わらせちゃう奴のセンスのなさ」

 みたいな無言の圧力。それに俺の神経が逆立ったのだ。

 俺が嫌悪するのはいつでもそういうマインドだ。不自然状態というか、ひねくれた自意識や、声なき優位性の主張。嫌。

 美人でも、水曜日のカンパネラみたいなのも同じ理由で嫌いだ。だから本当に別に醜美で嫌っているわけじゃない。映像や画像の奥にある「こんなナンセンスなことしちゃうアタシ」という自意識への嫌悪だ。

 

 一時期このCMをよく見かけたんだけれど、同じ不快感を感じる。

 あまり性的に露骨なものを公然の場に披露すると、わいせつ物陳列罪という罪に問われるらしいが、似たような話である。

 いやなにも、顔を隠して粛々と生きろ。と言ってるわけではない。

 上記の人たちはどれも、普通に化粧をして普通の髪型で普通に暮らしていてくれれば、なんの糾弾されるいわれもない。橋本環奈よりかわいくなるかと言われたらそれはキビシイが、誰かを嫌な気持ちにさせることはまずないとはずだ。

 問題は、人が不快に感じる可能性が高い見せ方で、視覚を刺してくる点だと思う。

 ブスはやはり、欠点だ。損を食うことが多い。俺自身きったねえ顔面してるからよくよくわかってるつもりだ。

 

 音楽はかっこいいだから普通にしてください。少なくとも俺はそう思います。「コンプレックスはアートなり」なんつってマウントで欠点の上に胡坐かくのは本当に醜い。不快なものを不快だという自由は認められるべきだ。この不快な文章をだれかが不快だと言う事もあるように。

 それでは。

-雑記

1991年8月4日生まれ。獅子座のO型。