ラブレター、もしくは遺書 #1

 あるとき好きな作家のコラム集を読んでいて、それがあまりにくだらないし興味もわかないし為にもならない話なのになんだか面白くって

「もしかして、文なんて何でも良くて読めさえすれば人間は意外と楽しめるんじゃないか?」

 と、思った。そういう地平から始まったサイトがこの夏目新舎。ネーミングは幻冬社のパクりだ。

 そうして、いつか自分で見返して、思い出す事でもあればいいなと思ってたまに何かを書き留めているんだけれど、最近は本当に私的な話が多い。まあ、ただの、私的な日記なので10000人に1人これを見て笑ってくれる誰かがいれば良いなと思う。そういう気持ちで書いているし、そういう構えで読んでほしい。

 今日もそうだ。ただの日記だ。だが自由だそれは、俺の数少ない自由だ。なにせ、急性肝炎だのと仰々しい四文字で入院を余儀なくさせられているのだから、今は酒を飲む事どころか、たっぷりマヨネーズの乗ったカラアゲや、手ごねのハンバーグを食べることすら叶わず。味のしない野菜の煮物を食べながら、命の心配をしながら、ベッドの上であれやこれやと考え事をすることくらいしか今はできないのだから。

 東京に来て最初の半年は本当に友達がいなかった。

 仕事で会った人、かねがね「東京に来たら遊ぼうよ!」と言ってくれていた人、街で声をかけて連絡先を交換した女、居酒屋で同席して仲良くなった人、出会い系で会った女。

 初めのうちはそういう人たちとも顔を合わせてみたが、どうも噛み合なかった。というか、前者いくつかは自慢話ばかりで本当に本当に幻滅した。

「俺は〜〜と知り合いで。紹介しようか?」
「あー○○ねー。あいつはそういうやつだからさー」
「あの会社ならいつでも出入りできるから言ってよ」

 今になって思えば、それが自慢話だったのか彼らの日常だったのかはよくわからない。が、一つ言わせてもらうならそいつらは自分の功績や実力ではなく他人のネームバリューで自分の名札にデコレーションをしていたように見えた。俺はそのギラつきがとても下品に見えた。幻滅をした。嫌いになった。気味が悪かった。東京って、こんなやつばっかなんだ。嫌だな、と。俺はそうなりたくないし自力以外を名札にしたくないと思った。

 人間は、嫌な事が半年も続くと「ああ、これはきっと一生続くことなんだ」と錯覚を起こす。自殺というのはそういうところから来ると俺は思っている。

 小中高とあまり人付き合いが上手く行かなかった俺は「きっと一生こうなんだろうな、ダル。死の」と思っていた。本気で。人間は一時の苦痛には耐えられても、一生続くであろう苦痛、希望のなさ、そういうものには耐えられない。ゴールが決まってるマラソンは走れるにしても、終わりが定かでないマラソンはきっとどこかで足を止めてしまう。がんばれないのだ。

 だけど、良くも悪くも、同じ状況なんていうのは一生続くわけがない。環境は変わる。俺にも友達は出来た。

 挫人間というバンドをやっている下川リヲという奴。下北沢の土着風天のリクという奴。あと稲荷。

 みんな同い年で、ろくなのは一人もいない。器用だったり不器用だったりするけどヘンに正直で頭がいいのに頭の使い方が下手で人の好き嫌いがはっきりしている。反面、見えないように隠れて優しい。それは俺が持ってないものだ。俺がモメてもだいたい俺の肩を持ってくれるしいつも楽しい事に誘ってくれる。好きなところを挙げるとキリがない上に気持ちが悪いのでこれ以上はよしておく。

 人と気が合わないのはだいたい俺のせいで、そういうのは半ば諦めていたところにそういう友達ができてとても嬉しかった。

 今日は、小学校の頃1年生のときから同じクラスで、大学まで一緒にバンドをやっていた青木という奴が愛知からわざわざ見舞いにきてくれた。

 本当に、小中高とほぼ唯一の友人で、本当に退屈だった義務教育から高校時代まで、ずーっと二人で遊んでくれた(青木にはたくさん友人がいたのに)親友だ。恨むところがあるとすれば、小学校のとき俺が大好きだった戸刈りこさんは青木の事が好きだったことぐらい。しかも青木は戸刈さん秒で振ってた。

 土産に星新一の短編を3冊買ってきてくれた。あとあいつ原宿で自分の服買ってた。

「星新一小学校のとき良く読んでたじゃん」

 とか、俺も忘れてたようなことを憶えていた。人の方が自分の事って憶えてるよね。

 結局話すのはバカ話で、青木の顔を見てまた少しホッとした。にしても、わざわざくるかよ。東京住めよもう。言えてない礼はいくらでもある。とにかく、顔を見せてくれて嬉しかった。泣かなくて済んでよかった。さすがに青木の前で泣くのは恥ずかしい。

 一記事じゃキリがない。ラブレターなんか何通出せば足りるんだろうか。ほら、見せたくないラブレターもちょっとはあるし。友達に順位付けなんかできるわけがないけど分割したい。ロッキンオンの2万字インタビューみたいになってしまう。

 大人になると、友達っていなくなるんだと思っていた。親が友人と遊んでいるところを見た事が無かった。

 事実、成人以降新しい友人を作るのはなかなか難しいと思う。社会に出れば同年代ばかりと顔を合わせるわけでもないし、ずっと付き合える友人なんてのは相当に気が合わないと成立しない。学生時代の友人なんてスクールカースト上の利害関係の一致からくる上辺の付き合いばかりだった気がする。二人きりでも、笑って冗談言える友達なんてのは本当に貴重だ。電話できる友達なんて本当に貴重だ。

 去年は本当にいろんな事があって、毎日笑っていた気がする。

 悲しい事つらい事の原因って大体が人間関係だけれど、嬉しい楽しいことも大体が人間由来だ。

 酔っぱらうと良く友達へありがとうみたいなことを口走る恥ずかしい酒乱なんだけど俺は、心底そう思っている。

 こうもならなきゃ言う機会もないし面と向かって言うのは恥ずかしいから間接攻撃で言わせてもらうけど、どこからか病状を聞きつけて、連絡しなかったことを怒ってくれて、酒なんかなくなって俺たち楽しいことあんじゃんって言ってくれて、忙しいのに連絡逐一くれて、普段皮肉しか言わないくせに普通に心配してくれて、なんかくすぐったいね。

 人間はコンプレックスに手足をはやしたようなもんで、過去に手に入らなかった何かを埋めるように埋めるように生きるんだと思う。

 うまく行かなかった人間関係とか、褒めてもらえなかったこととか、挫折してしまったこと逃げたこと全てが今の執着に繋がっているんじゃないか。俺は、きっと自分にとても自身が無いんだと思う。人と上手くやれなかった自分に自身がないんだろう。

 だから友達は俺にとって何よりの執着の対象だし、仲良くなれて本当に嬉しかったし、なんかもうこれ以上はやめます恥ずかしい。

 ありがとうね。健康になったらまたみんなで不健康なことしようぜ。

 焼き肉行って、色盲のリクに焼かせて生焼け肉みんなで食おうぜ。レバーは俺が全部食うからさ。

 

-雑記

1991年8月4日生まれ。獅子座のO型。