勝手に幸せになってください。

よほど極端な人間じゃないかぎりみんなそうであるように、だいたい悩みのタネは人間関係で、物心がついてやっと20年余りになるけれど振り返れば半分以上は、友人や友人自体がいないことなどなどに気を揉んでいた気がする。学校で話しかけられる回数よりも、Lボタンでロックマンエグゼと話す回数の方が多かった。

今でこそ思わないけど、一人でいることがどうしようもなく恥ずかしく情けなく、一人でいることを隠すために誰にも会えず、余計に一人だった。ガッツマンをカウンターで倒してばかりいた。

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二月末、借りたハイエースで一方通行の路地に逆から頭を突っ込んでいた。CRYAMYの一行を乗せ大阪に向かっていた。

愛知県で生まれ育ったというのに俺は本当に車が嫌いで、いままでバンドの遠征についていくにしてもいつも後部座席を温めていたのだけど、運転免許証を持たない彼らに代わりついにハンドルを握るハメになったのだ。

サブドライバーとして、大学時代の後輩が仕事を押して同行を買って出てくれたり、tetoのカメラマンをしているサトウミズキという男が人情から撮影班として参加してくれたりで「狭い狭い」と悪態はついていたものの、大型のバンが狭くておれは内心嬉しかった。

大阪について、PK shampoo一行、Hue’s一行と顔を合わせて、この人たちといると本当毎回ロクな目に遭わないんだけれど、いい歳しておれはそれをいつも楽しみにしている。

ヤマトパンクスに「フォロワーの数だけ飲め」と唾を吐きつけたウーロンハイを差し出されたあたりから記憶が曖昧だけど、とにかく楽しかったのだけはおぼえている。

Hue’sの轟音から始まったライブは3バンドで1つのアルバムみたいで、何より仲が良いってのは裏返せば「絶対に負けたくない」ってことで、そういうのは見てるお客さんにも伝わるらしい。喜ばしいことではないけど、人が倒れたり、ギャルが泣き崩れたりしていた。

ライブ後、ギターのレイがぐしゃぐしゃに泣いて「本当にごめん」と繰り返しながら控室から降りてきた。一曲目で指を切って壮絶な量の血を流して、ギターのピッチが狂ったり指が滑ったりして本人的には悔しい演奏だったらしい。あの人は実家が大阪で一番このライブを楽しみにしていたのを知っていたし、普段泣いたりしない彼が泣いてるのを見てみんなで「何言ってんだよ」と大の大人が大阪のネオン街で抱き合って泣いてしまった。恥ずかしかった。

笑ったり泣いたり怒ったり喜んだり、レイが血を吹き出したりカワノが足の骨とギターを折ったり、たいへんだったけど、トータルしたら嬉しいばかりだ。

CRYAMYのカワノがよく「伊藤さんが拾ってくれたからおれらは今まだやれてる」なんてことを酔っ払って言うけれど、俺が体調も人間関係も悪くして一番最低だった入院生活の時に聴かせてくれた曲がきっかけでいままだどうにか楽しくやれてるし、退屈せずに過ごせている。おれが拾ったんじゃなくて、拾われたのはおれなんだよ。

PK shampooのヤマトと知り合えたのも、カワノとレイが聴かせてくれたトラッシュノイズの京都線からだし、34もtetoの貞ちゃんが教えてくれて企画に呼んだのがきっかけだし、おれの一番仲のいい友達もライブハウスで人に紹介してもらって仲良くなったんだっけか。

書き出したらキリがないけど、いろんなところで出来た友達が、気がつかないうちに繋がってまた別の友達を呼んで、知らないうちに友達になっている。ガッツマンからバクのかけらを集めてる場合じゃなかったのだ。いまさら気がついた。

おれの知らないところで、バンドとかライブとかを通じて誰かと誰かが友達になっているのか。

でも、おれたちが勝手にやったことが何か誰かのそういうきっかけになればいいな。勝手に幸せになってください。

今年もよろしくお願いします。

-雑記

1991年8月4日生まれ。獅子座のO型。