19の頃働いていたバーでは、面倒な女客は決まって俺の当番だった。
店長はオーナーのご友人だの太客だのその日持ち帰る用の女だのに終始忙しく、女の先輩はサラリーマンのアイドルだった。ともすれば俺はそれ以外、つまるところ店長のタイプでない女性客の愚痴を聞くのが主だった仕事となった。
その徹底して分を弁えた仕事ぶりからか、オーナーには「ロリエ超吸収ガード」との異名を賜ったほどである。胃を壊したのも人の話を1/4しか聞かないのも女の悪口が呼気と同じ頻度で口から漏れてしまうのも、全部この時期に原因が集約されている。人間は蓄積なのだ。
「もうバンドマンとは付き合わない。バンドマンはクソ。もう騙されない」
『じゃあ今気になってる人はどんな人なんですか』
「ライブハウスでPAやってるの」
コボちゃんですら4コマ使うのに、女の話は3コマで落ちる。
その人は近くのビルに入ったアパレルショップで販売員をしているらしく、週3ぐらいで飲みにきては毎回男の話だった。
「一回ヤったっきり連絡来ないんだけど、あたし何かまずいことしたのかなあ…」
『もう一回そっちから連絡してみてもいいんじゃないスか?』
「もうずっと送ってるよ~、さっきも電話したけど出ないし」
そういうことを言ってたかとおもったら
「この間連絡先教えちゃったお客さんからずっと連絡来て鬱陶しいんだよー」
舌の根の乾かぬうちにそういうことを言う。犬は逃げるケツを追うし、追われれば逃げる。目の前を3匹の犬が列になって走り抜けていく図が見えた。
ananによれば、恋愛は押してばかりじゃダメらしく、引くのが上手いヤツが恋を制する。らしいのだけれど極端なことを言えば、この人みたいに手に入らないものにヤッキになっているだけだと思うのだ。恋愛に限らず、欲しい何かって全般的にそうだ。整った顔とか、幸せな家庭とか、楽しい青春とか、とか。手に入らないストレスから乾いた心の部分は、それを手に入れることでしか癒されない。だから執着するし、もう既に持ってる人からしたら本当にどうでもいいものなんだろう。
この6つ上のお姉さんは、19歳のガキにそんなことを思われてるとは露知らず、自分の願望に素直に「整形したい」だの「養われたい」だの「元カレに会いたい」だの毎週毎週話にきた。
あんまりにも馬鹿馬鹿しいことばっかり言うもんだから年上なのになんだか可愛く見えてきて、そしたら今度はだんだん俺がそのお姉さんを好きになり始めてしまった。犬の耳としっぽが生えるのがわかった。
いざ自分がそうなると、追いかけられる側に上手に転ぶ方法はてんでわからなかった。人の話を訊いてるときは「ばっかだなあ、連絡なんか待てばいいし、帰り際に手でも繋いで数日放置したら興味なんて簡単に引けるのに」と生意気なことを思っていたが、実際のところは人間はそんなに器用じゃないみたいだしましてや犬になっているんだから難しい駆け引きなんかできるはずもなかった。
そうこうしているうちに俺は店をやめてしまって、そのあとそのお姉さんがどこに行ったのかはよく知らないんだけれど、さっき薬局で「ロリエ超吸水ガード」を見かけてぼんやり顔を思い出した。女性の顔を思い出すきっかけの中でも最悪の部類ですね。
誰かの、できれば好きなタイプの人たちにとっての、追いかけられるケツになりたいですね。
それではさようなら。ワン。