自由と暮らしています

 仕事をする、ということは生活の為に給料をいただくこと以上に、枠や不自由をいただく意味合いがある。

「民衆には”支配される”という特権を与えてやっているのだ」

 と誰かが言っていたが、まったくその通りである。物心ついたころには、親に自由を取り扱ってもらい、進学すれば学校にも自由を差し出し、社会に出れば勤め先に手綱を握ってもらう。多くの人はそうやって歩を進めるものだから、自由を珍しがって、有難がって、自分の不自由を嘆くけれど、自由なんていうものは誰にでも扱いきれるようなシロモノではない。

 出勤時間がなければ人間は何時間だって寝てしまうし、お金があればいくらでも使ってしまう。これは人それぞれに備わっている自制心の多寡によってどこまで身をやつせるか変わってくるが、無限に広がる自由という酒にも薬物にも勝る凶悪な快楽装置に毎日浸かり続ければ、大なり小なりその自制心も形を歪めていってしまうのだ。

 仕事をしていないわけではないが、ぼくの仕事にはスーツや上司やデスクといったわかりやすい制限の記号がない。その気になれば家から一歩も出ずに生活ができる状態にある。

 そうもなれば生活リズムはちょうど変拍子のようになってきて、思い通りに過ごすとポリリズムとなって頭拍がくるくるとずれていってしまう。昨日は13時頃に目が覚めた。

 玄関先に立って誰かが置いて行ったクロックスに足をつっかける。ドアを押すと目が痛くなるくらい陽がさしていて、やっと真昼だということに気が付いた。160円でビタミンウォーターを買って飲んだ。

 外から自室に押し入ると、シンクの中で狭そうに重なった皿やら洗濯機の上でだらしなく寝そべるシャツやら詰みあがった段ボール箱やらが目についた。部屋を出るときは気にならなかったのに、昼過ぎの空気を吸ったせいか、いやに部屋が怠惰に見えた。たぶん、真昼の明るさに後暗さなく暮らしている人たちから見た時のぼくはちょうどこんな感じなんだろう。

 洗濯槽を覗き込んで、アタックを多めに振りかけた。閉じて、電源を入れる。

 これだけのことでほんの少しだけれど達成感があった。台所の前に立ってスポンジに洗剤を押し付けながら、終わったら溜っているメールを返そう、と思った。

 水がつめたくなかったからもう春なんだろう。

 

 

-雑記

1991年8月4日生まれ。獅子座のO型。